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アメリカとフランスの違い(シャルリ・エブドの問題)

前回も書きましたが、いま日本にいます。
日本の報道、特にテレビを見ていると、フランスの精神が伝わっていないのが、とても残念です。
今回は、民主主義、言論の自由、と一口にいっても、アメリカとフランスでは少し違いがあることを書こうと思います。

hebdo[1].jpg

フランス、特にパリでは「私はシャルリ」と大勢の人が訴えています。
日本人にはピンと来ないんじゃないでしょうか。

これは、「私は、シャルリと同じく、フランス革命精神をもっている」「すべての権威や権力を疑う。必要なら反抗だってする」「平等と自由を追求する」ということなのだと思います。

アメリカには独立革命が、イギリスには清教徒・名誉革命がありましたが、フランスの革命とは内容が違います。

フランスの革命は、のちに世界で初めての社会・共産主義政権をつくるのにつながる革命でした。「自由・平等・博愛」というよりは、「自由・平等・平等・平等・平等・平等・平等・平等・平等・平等・平等・平等・平等・平等・平等・平等・博愛」なのです。自由とは、平等を追及するためにあるのです。平等を実現するための手段が、自由なのです。
そして、平等を追及するから、権威や権力が嫌いなのです。権威や権力が嫌いで否定すると、社会がめっちゃくちゃになるので、あまり混乱が続くと、大きな権力が登場します。フランスの歴史は、この二つを行ったり来たりしています。

アメリカ(やイギリス)は逆です。平等よりも自由が大事。「自由・自由・自由・自由・自由・自由・自由・自由・自由・自由・自由・自由・自由・自由・自由・自由・自由・自由・平等」です。自由を実現するためにはチャンスの平等が必要、という考えです。自由を実現するための手段が、平等なのです。

平等と自由はどちらも民主主義に不可欠なものですが、両立しないのは日本でも経験済みだと思います。小泉時代、自由経済を追及した結果、日本では著しい経済格差=不平等が広がりました。小泉政権のブレーン、竹中氏の経済政策は、アメリカ流だったんです。アメリカは貧富の差が激しく、国民保健すらありません。でも、兆万長者をうみだします。アメリカンドリームです。

フランスに限らず、欧州は逆です。平等を追及するゆえに、社会主義的政策が強い。国家が生活の保障をする。保育所も介護も。この点で、日本は欧州化していると思うし、アメリカより欧州に学ぶことが今は多いと思います。
(追記 フランス人の経済学者、トマ・ピケティがこんなに日本ではやっているとは知りませんでした)。

シャルリ・エブドですが、あの新聞は、ドゴールが亡くなった時に批判精神をもって揶揄したために、内務大臣から発禁処分を受け、それで新聞の名前を今の「シャルリ・エブド」に変えて、同じスタッフが続けて出版したという経緯があります。訴訟は数知れず。平均、年に2回訴えられているといいます。

それでもやめない。
仲間をほぼ全員殺されても、やめない。

私はパリに住んでいるので、この反抗精神というか、感覚や雰囲気がすごくよくわかります。
(フランスの中でも、革命精神が強いところと弱いところがある。私はフランスの地方に住んだ経験があるので、フランスの中でも違いがあると体感しています)。

一切の権威に対する反抗なのです。これがフランス革命の基本です。
シャルリ・エブドを支援することは、「自由・平等・博愛」のフランス革命を支持することと同じです。国を支持するのと同じなんです。愛国のあらわれなんです。

あらゆる権威も権力も、揶揄したり否定したりする権利をもつのは、フランス人にとっては自明のことである。これを否定することは、フランス革命を否定することになる。


一切の権威とは、宗教の権威も含みます。

ここに、大きくフランスとアメリカ(やイギリス)の違いが出てきます。

アメリカは、主要紙では、ワシントンポストが「宗教の冒涜にあたらない」という理由で、シャルリ・エブド紙の表紙を紙面に載せましたが、他紙はのせなかったそうです。

これを日本人は「人様が大事にしているものを揶揄するのは、いかがなものか」「人様が「嫌がることはしないのがよい」という気配り精神で理解して、アメリカの主要紙の態度を支持するでしょう。気配り文化です。それに、彼らを刺激するのも怖い。
(日本は、気配り程度でなんとかなるほど、異文化との宗教対立や思想対立の経験がないのだと思います。「相手を尊重して」とか「相手と話し合って向き合って」など、そんなの数千年前から大陸では必死でやっていますよ。そのうえでの対立です)


でも、そういうこととは違うと思います。
アメリカは、宗教の自由を求めて、欧州からのがれた人が建国した国です。宗教の自由は、なによりも尊重されるべきものなのです。自分の宗教を抑圧してほしくないから、人様の宗教も大事にする。私は私、あなたはあなた、でも共存しましょう、お互い干渉せずに、自由の名のもとに共存しましょうーーーこれがアメリカの精神です。そして「お互いアメリカ人ですよね。私たちは自由を尊ぶアメリカの国民ですよね」ということが、アメリカの愛国精神です。

(実際には、大統領が「ゴッド・ブレス・ユー」と公式の演説で発言するなど、「じゃあ仏教徒はどうするんだ」という批判はできますが、一応上記が建国の精神なのです)。

一方フランスは、アメリカの姿勢を「コミュニティ主義」といって批判します。フランス流の民主主義は、すべての宗教を排除しようとするのです。すべての宗教を排除することが、平等ということなんです。これをライシテといいます。フランス「共和国」の大事な精神です。

(イスラム教徒の女性が頭にかぶるスカーフが始終問題になっていますが、これが禁止されるのは公立学校の義務教育のみです。ただし、イスラム教徒の女性の全身真っ黒=ブルカだけは例外で、女性の権利を蹂躙しているという理由もあり、公共の場では一切禁止されています)。

アメリカでは「表現の自由のせいで、人様の宗教を冒涜しないだろうか」と議論されるのでしょううが、フランスでは、風刺や揶揄することそのものに問題をさしはさむ風潮は、あまりないと思います。

なぜこの違いがうまれたか。

これほど始終、宗教の争いがあると、国の基本方針としては、二つしかないのです。
全部認めるか、全部やめる。
実際の社会はグレーで、グレーにもさまざまなニュアンスや色合いの違いがありますが、基本方針は二つしかありません。
全部認めるが、アメリカ流。
全部やめるが、フランス流。

アメリカとフランスの両国のインテリの間には、「違いはあるものの、どちらの国も民主主義における普遍主義(ユニバーサリズム)の国」という互いの尊敬が存在します。だからライバルなんですけど。

アメリカが「全部認める」をできたのは、新大陸だったから。土地が広大だったから。周りはカナダとメキシコしかなく、つまり外敵の心配がほとんどなく、海にはさまれ孤立した「大きな島国」だったからです。
フランスという欧州に、そんなことできるわけありません。フランスには独自の文化と歴史が昔から存在しています。周囲の条件がまるで違います。そんななかで「自由・平等」を追及したフランス革命は、「一切の権威や権力を、平等のために認めない」という思想でした。

この思想は、とても共産主義的です。共産主義の思想は、明らかにフランス革命からはじまっています。世界で初めての社会・共産主義政権ができたのは、パリ。パリ・コミューンでした。短命でしたが。共産主義圏で有名だった共通の歌、インターナショナルは、もともとはフランスでうまれてフランス語で歌われた歌でした。ロシアと思っている人が多いですが、違います。


だから、シャルリ・エブドは、思想としては左。共産主義的というか、アナーキー精神というか。

といっても、風刺画家というのはアーティストでもあるので、理論武装はしていないかもしれません。インタビューを聞いていると、感覚的なものが優先していると感じます。思想家や政治家、運動家ではなく、アーティストだから、「揶揄」「からかい」「辛辣なユーモア」という形になるのでしょう。

目下「言論の自由はどこまで許されるか」としきりに議論されていますが、そんな単純な問題じゃありません。
誤解を恐れずにいれば、宗教を否定するアナーキストと、宗教過激主義者の争い。まさに水と油。どこをどうとっても、共通点や接点はありそうにないです。それでも、これが両者とも理論武装した思想犯だったら、意外に極左と宗教極右は似てくることがあるのですが、片方はアーティストで、片方は殉教したい兵士。この点でも両者は水と油なんです。

ただ、辛辣なユーモアといっても、いつも上質というわけじゃなかったみたいです。
ネットにシャルリ・エブドの最近の作品が出ていたので見ましたが、、、あまり上手じゃない印象は受けました。「あんな下品な絵では、イスラム教徒が怒るのも無理はない」という意見もあるようですが、言われても仕方ないというレベルのものもあるかなと思いました。上質な風刺だと、反対派も、怒りながらも内心「う・・・鋭い」とうならせるものがあったりするものですが。

そのせいなのか、2万部とも3万部ともいいますが、本当にそんなに売れていたのか疑問です。リベラシオンもパリ以外で読まれているのか疑問ですが、シャルリのほうもそんな感じです。ネット時代なこともあり、経営はさぞかし苦しかったでしょう。
もっとも、こういう小さいメディアだから、過激や下品が許されていたともいえます。
さすがに、主要紙ではここまでやりません。主要紙でここまでやったら、現代においてはさすがに問題になるでしょう。

といっても、いくら少数派といえど、下手で下品だから揶揄してはいけないかというと、そんなことはない。そういう問題じゃないのです。
「あの人、知り合いだから」「あの人、顔がいいから」という理由で、選挙の候補者に投票してはいけないということはない。「目立ちたいから」という理由だけで、選挙で政治家に立候補していはいけないというはない。それと同じ理屈です。大事なのは、誰にでも権利があること。風刺が下手だろうと、風刺をする権利は奪えない。大事なのは、そこなのです。

ですからフランスの場合、「宗教を揶揄してはいけないのか」という議論にはなりにくいと思います。していいに決まっている。自明のことです。

それよりも、事実上、ユダヤ人を揶揄するのだけは法律で規制されているのも同然なので、「イスラム教徒に対してはよくて、なぜユダヤ教徒に対しては禁止なのか」という議論になります。

ユダヤを冒涜するのは、「差別や暴力、憎しみの誘発になる」「国家や人々の安全、公共秩序にかかわる」つまり「人種差別を扇動する」という理由で、禁止になることが多いのです。他の宗教や民族よりもずっと、ユダヤに関してはこの条項が適用されやすい。これは、フランスでは前から議論されてきました。

有名なのは、デュードネというコメディアンの問題です。父親はカメルーン系なので、風貌はノワール(黒人)っぽいフランス人だ。不法滞在の人やホームレスを支援するという左の人だった。ところが、イスラエルのせいでパレスチナの人々が苦しんでいるというので、反ユダヤ的な発言が多くなり、しまいには極右のルペン父党首と親しくなっていった(極左と極右は似てくる例でしょう)。この人は、何度も罰せられていますが、「世界のあらゆる人、あらゆる宗教を揶揄できるのに、ユダヤだけはできない」というような発言をしています。
今回、彼は「自分はシャルリ・クリバリだ(クリバリとは、ユダヤ系スーパーにたてこもった犯人)」というようなことをネットでつぶやいて批判を浴び、当局に拘束されました。これに関して「行きすぎ」という議論があります。


確かに、フランスは、平等を尊ぶべき国でありながら、差別はあります。でも、いかに差別にフランスが戦ってきたか、テレビに出てきてしたり顔で話しているアメリカしか知らない識者はわかっていないと思います。
日本の場合、アメリカよりも欧州に近いです。アメリカの思想を受け入れたって、日本ではまねするのが難しい。あんなに広くもないし、新しくもない。それなのに、アメリカだけを知って、欧州の国を「差別があるんですねえ」「ドリームがないですから」と批判するのは、天にむかってはいた唾が自分に落ちてくると思うのだけど。

もちろん、イスラムとの問題は、もっと大元をただせば植民地の歴史などがかかわってくるし、現在でも、フランスがイスラム国の空爆に参加して、一般市民も巻き込まれて死んでいるという事実があります。大変難しい問題です。でも、歴史問題は日本にとって人ごとでしょうか。

人の国の差別云々と語る暇があったら、まずは自分の国のヘイトスピーチをなんとかしたらどうでしょう。
(さっさと法律で規制するべきです。公の、子供だって聞いている場所で「××を殺せ」と叫んでいるなんて、おかしいです)。



さて、欧州のことを考えてみます。
少なくともフランスでは、イスラム移民に対する問題はこれからも一層深刻になるだろうけど、ユダヤ問題で国の土台がゆすぶられることはないと感じます。もちろん、ユダヤを狙ったテロは起き、社会不安は増幅するかもしれませんが、国の姿勢がゆらぐことはないでしょう。

でもドイツは・・・。今回のテロは、イスラム問題だけではない。ユダヤ系スーパーが襲われて一般市民が殺されています。「外国人、出ていけ」という動きになると、ユダヤ問題がドイツでは深刻化するのではないか。イスラム移民だけなら、排斥に内心では共感を感じるドイツ人も、ユダヤ排斥となると。。。
でも、移民排斥を唱える団体や政党が、イスラムとユダヤを区別するのでしょうか。ドイツには、真正極右で欧州議会でも嫌われている政党もあるし、ネオナチの動きもあるし・・・。

これからどうなるのだろう。
欧州の「良識」や「普通の人」としては、反イスラムはともかく、反ユダヤのレッテルだけは絶対に張られたくない、イスラム移民が増えるのは内心イヤだけど、反ユダヤと思われるのだけは嫌だ、避けたいというところだとだと思います。前に「極右が欧州で会派を作れなかった話」という項目を書きましたので、ご参照ください。
反ユダヤまでもいう政党(や人)は、極右も極右、ナチスとされるからです。フランスの場合、極右といわれるFNは、この点で揺らぎがあります。
今後、イスラム移民を否定する勢力は、ある程度良識があるのなら、いかに反ユダヤとみられないか、骨をおることになるでしょう。逆に、こういう人たちに反対する勢力は、彼らを「人種差別主義者であり、反イスラムであり反ユダヤだ」と攻撃するのではないでしょうか。
イスラムとユダヤ、両方に関係するテロが一度に起きるとは・・・。
フランスの識者の話では、イスラム過激主義はイスラム至上主義であり、だからユダヤを排斥するのだということですが・・・。


宗教に思想。本当に難しい。
人が自身の信念に生きるなら、共存は無理です。
だからこそ、人は、新大陸を欲しました。
欧州においては、共存を目指して、フランス革命とその後の改革がうまれました。「宗教は麻薬だ」とする共産主義がうまれました。
でも今の時代、もう新大陸はありません。
共産主義も、現実は人々を弾圧する結果に終わりました。
(でも、共産主義とは一線を画した社会主義という形で、欧州には根付きました)。

どうしようもない・・・・・・。
悲しいのをとおりこして、もうため息しか出ない。。。

年末に書こうと思って書きそびれましたが、欧州には今後、ギリシャを筆頭に「極左政権」が出てくる可能性があるのです。これが欧州を不安定化させるかもしれません。

日本人には、極右はわかっても、極左はわかりにくいでしょうね。。。
(そういう私も、必死に勉強しているところですが)
日本の左は壊滅状態。これが、日本の右傾化の大きな要因の一つになっています。
なんで日本の左は、こんなに弱かったんだろう。


失業率さえもっと低ければ、、、お金があれば対立や差別がなくなるわけではないけれど、暮らしが安定していれば、問題は表面化や先鋭化しにくいのは確かなので。

今年の欧州は、極右ばかりではなく、極左も考えるべき年になるのでしょう。

膿んでますね。でも私は、懸命に思想を追及する欧州が、好きです。
困難にあいながら、地球規模になった新しい時代に対応するために、一つにまとまろうと新しい努力をしていく欧州はすごいと思っています。
安倍政権は地球を俯瞰する外交といい、私はこの政策をかなり高く評価しているのですが、今までどおりアメリカにべったりで、一国の努力ではたしてどこまでできるのだろうか、と疑問ではあります。
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